響け!ユーフォニアム11話 物理的距離と心理的距離の関係から見る
11話3回目です・・・
一気にやりたかったのですが、画像が制限がかかってしまいまして・・・
さて、今回はこういったことについて注目しました。
物理的距離と心理的距離の関係から見る
心理学で聞いたことも有る方もいると思います。
物理的距離と心理的距離の関係性です。
基本的な4パターンがあり
①密接な(親密な)距離 0~約50センチ・・・肌が触れるものから少し離れたでもかなり 近い距離(家族、恋人、親友)
②個人的な距離 約50センチ~約1メートル ・・・腕一本分くらいの距離。必要ならば 触れられる(友人、知人の距離)
③社会的な距離 約1メートル~約5メートル・・・仕事上の付き合いや初対面での距離
④公的な距離 約4メートル~約8メートル・・・個人的関係の無い(または無いに等し い) 距離
さらに①、②までをパーソナルスペースとも言い、家族、恋人、親友、友人、知人には許す距離範囲ですが、初対面の人にこの範囲に入られると不快感(危機感、緊張感)が現れる距離です。(もちろんこの範囲は、個人差があります)
メートルは資料により差はありますが、だいたいこのくらいです。(私は「映像技法のリテラシーⅠ」のP90、91を参考にしました。)
そして、こうした物理的距離と心理的な距離の関係性はそのまま映像を通して、キャラクターの心理や感情、関係性を表現するのに適用できると思います。
これは参考程度ですので軽く頭に入れて読んでみてください。
OP直後の優子と香織のシーンですね。
ちなみに同じような構図でこんなシーンが有りました。
優子1年、香織2年の時の回想シーンですね。
前者では後者より物理的な距離が詰まっています。
前者は現在のシーン、後者は過去のシーンですので、過去よりも優子と香織の仲が深まっている(心理的距離が近くなっている)、ととれます。
先ほど紹介した言葉で表せば、ただの部活の先輩後輩の社会的距離から友人、知人関係とも呼べる個人的距離まで縮まっています。
続いてこちら
優子が久美子に麗奈の演奏をどう思うか問いただすシーンです。
このシーンでは物理的距離は近いですが、普段を見るに、この二人はあくまで部活動の先輩後輩という仲で、そんなに心理的距離が近くは無いと思います。
しかし、このシーンでは優子が久美子に問いただすように迫っています。
つまり心理的距離を詰め、むりやり相手のパーソナルなスペースまで侵入し、相手の本音を探ろうとしている、そういうシーンだと思います。
パーソナルなスペースへの侵入を許し、緊張、動揺を感じ、さらに持ち前の思ったことをつい口にしてしまう久美子は、麗奈の演奏を聞いて「ソロにふさわしいと思います!」と言ってしまいます。
続いてこちら
「それとも、我が思考を読む能力者か!?」と明日香がおどけるシーン。
普段は仲が良い二人だとは思いますが、このシーンでは距離が離れています。
香織が、明日香に個人的にどちらがソロを吹くべきか問いただし、さらには冗談でも高坂さんが良いと言ってほしくないというシーンです。
このシーン明日香は結局明言することなく去っていきます。
物理的距離を取り、心理的にもパーソナルな部分に入り込ませないようにし、さらに真剣に問いただす相手に対しておどけることで、真剣に取り合う気はないと、心理的に距離を離し壁を作っている、ととれます。
つづいて
久美子が「上手くなりたいなぁ」と秀一を遠くに見ながらつぶやくシーンです。
9話以降久美子と秀一は言葉を交わしていません。
物理的な距離同様、心の距離も今は他人と言ってよいほど、離れています。
11話では有りませんが、気まずい空気が流れる9話の二人。
こちらは物理的距離とともに、座席の端の仕切りが二人の心の壁にもなっています。
壁という言葉が出ましたので距離のお話とは違いますがこちら。
左が、過去回想のシーン、先輩に1年生を無視しないようにお願いする香織を教室の外から見ている優子。
右が上記の過去回想後のシーン。
同じような構図ですね。
以下、個人的解釈になりますが、過去回想のシーンでは優子は何もできずに、ただ見ています。
その後現在に戻ってきて同じような構図になるということは、現在もただ見ているだけと同じ心理なんだと思います。
つまり、10話で香織先輩にソロを吹いてほしいという願いから行動をし、結果、再オーディションをすることになったものの、結局その先再オーディションで吹くのは香織自身であり、ソロを獲得するのは香織の実力なので、この先自分ができることはなにもないのだと、ただ見ているだけなのだと、この時点では思っているのだと思います。
さらに、過去回想では教室の扉、現在のシーンでは下駄箱が壁の役割をしていると思います。
壁の前に立つ、というのは映像演出的に見れば
壁=立ちふさがる強敵、行き止まり etc... (このシーンの場合は行き止まりでしょうかね)
つまり、一歩も前に進めない、行き止まりのような絶望感、ネガティブな印象を与えます。
上記の個人的解釈の通り、なにも手出し出来ない絶望感というものをこの時はもっているんだと感じています。
しかし
その後のシーンで、優子は麗奈にわざと負けて欲しいとお願いしてしまいます。
距離に話を戻すと、この距離は社会的な距離だと思います。
つまり、パーソナルな距離には踏み込んでいない距離です。
久美子の時はむりやりパーソナルな距離に踏み込み、問いただしましたが、麗奈にはそこまで踏み込みません。
それは、無理なお願いとわかっているからです。
一つ前に話を戻すと、下駄箱の前で立ち尽くす優子は、その後中川先輩との話で、中川先輩に「余計なこと考えていないよね?」と問いただされます。
その余計なことが、上記の麗奈とのシーンなのだと思いますが、優子も余計だと、本当はするべきではないことだと、わかっていたんだと思います。
だから下駄箱のシーンでは、行き止まりで立ちふさがる様な気持ちだったんだと個人的には思います。
そして最後に
親友、恋人、家族の距離と言っても良い距離です。
心の距離は無いと言ってもよく、深く通じあっているといっても過言では有りません。
中川先輩と優子は表面上仲が悪そうですが(まぁお祭り一緒に回っていたり、下駄箱で耳にフゥーと息を吹きかけるぐらいの仲なので言わずもがなですが・・・w)
お互いのパーソナルなスペースに入り込んで、それを許しあえる関係なんだなと思います。
上で紹介した3組とも、本音を一方にあるいは双方に吐露した(中川先輩と優子は若干違いますが)後にこういった距離にいたることから、本音を吐露してくれた相手に対して自分のパーソナルスペースに招き入れる、というと堅苦しい言い方ですが、より親密な関係になった、より親密な関係が進んだと見れます。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
別に、そんなに心理学に精通しているわけでもないのでこのぐらいのことしか書けませんが、ふと見ていて思いついたので書いてみました。
この物理的距離と心理的距離、当たり前だろと思う方もいるだろうと思いますし、また、必ずしも、僕の考察が当てはまるわけでも有りません。こじつけかもしれません。
数字のメートルもあくまで目安です。
さらに、11話だけの話でもないです、ただ11話見ていて思いついたので11話で書いてみただけです。(言い訳を重ねる・・・まるで久美子のようだ)
まぁ気軽な気持ちで見てくださればと思い書きました。
最後まで見てくださった方ありがとうございました。